『酒』という液体の存在意義を問う
金曜日。
安定した老後という終着駅に向かって伸びたレールに乗るトーマス達が、華金という二文字に操られて街を歩く。
どうやらこのトーマス達は『酒』という液体を求め、さまよっているアンデットのようだ。
その『酒』という液体は、月曜日から金曜日にかけて心に蓄積された『ストレス』という目には見えない物質を取り払い、次の一週間を生きる英気を養う未知の薬らしい。
そしてここ日本という国では、その薬を白昼堂々と提供する『居酒屋』と名付けられたバトルコロシアムに人々が入り交じり、キンキンに冷えた中ジョッキを皆で一斉にぶつけ合う格闘技が行われている。
酒を飲んだ人間の末路
この『酒』という液体を飲むと、人はおかしくなる。この図を見て欲しい。
出典:社団法人アルコール健康医学協会Web
つまりはこうだ。
酒という液体を飲んだ人間は
肌が赤く変色し
理性を失い
何度も同じ事を、狂ったかのように喋り
大小便をたれ流しながら死んでゆくのだ。
恐ろしい。
そんな北斗の拳の秘孔を突かれたザコキャラみたいな死に方をしてしまう『酒』という液体が、この平和な日本という国にはびこる事が果たして許されるのだろうか・・・
自らの経験を踏まえて
かくいう私もこの液体を飲んだ事がある。
実を言うとこの液体が解禁されるハタチという節目を迎えるずっと前から、マミーやパピーが楽しそうに飲んでいたのを見て、どれほどまでに美味い液体なのか気になってしょうがなかったのだ。
そして、解禁と同時にこの液体を仲間らと浴びるほど飲んだ。
最初は苦く感じたこの液体も、社会という理不尽で埋め尽くされた世界では段々と甘く感じることができた。
きっと『ストレス』という目に見えない物質が甘く、それとうまく混ざることで苦みが中和されたのだろう。水割りならぬストレス割り。
仮説ではあるが、とりあえずで注文されるオーソドックスな液体よりずっと苦いのを好んで飲む人は、その抱えるストレスも決してオーソドックスではないと考えられる。
結論
確かに液体を飲むと気が大きくなり、いつもと違う自分を演じることができるだろう。しかしそれはお酒の勢いというもので、本来の自分の姿ではない。
酔っ払うと様々なリミッターが外れ、言いたいことを好きなだけ言えるようなり、なんだかすごく楽しい気持ちになる。
しかしそれは、今まで言いたいことを言ってはイケナイと頑張って押し殺してきた自分への裏切り行為とも言えてしまうのだ。
翌日、かすかに残っている記憶を辿り「なんであんなことを言ってしまったんだ!!」と激しく後悔した経験は誰しもあるハズ。
だからお酒はイケナイ。自分が自分でなくなってしまうから。
おわりに
最後に、この記事を書いたイキサツを紹介したい。
土曜日の夜、私はとある合コンに参加したのだ。
そして、そこにはそこそこ可愛いサキという女の子がいたのだ。
そして、私はサキに良い感じにアプローチしようとした。しかし、酔っ払った勢いで私はその子をユイと言ってしまったのだ。なぜかは全くわからない。
そしたらむこうは全然酔っていなかったらしく、マジなテンションで「サキなんだけど…ショック〜酔い過ぎだし〜」とかガチなことを言いだして、それが引き金となり黒星を喫した。
もしあの合コンが戦国時代に行われていたら、情けなさ過ぎて自ら腹を切っていたかも知れない。それほどまでに見事な惨敗だった。
現世に生まれて良かったなぁ・・・そんなことを、反省会場のなか卯で親子丼を食いながら考えてました。
清々しいほどの敗者ヅラで。
うん、そういうわけなの。みんなもお酒には気を付けようね。
そんでイヤなことあったら飲んで忘れちゃおうぜ!!!
本末転倒とかそんなの知るかっ!!!
サキちゃんを返せ!!!
つーわけで
おわり!!
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